091227 ラグビー大学選手権二回戦@秩父宮ラグビー場
明治大学ラグビー部は12月20日の大学選手権一回戦(拓殖大学戦)を勝ち上がり、翌21日はオフ、22日から練習を再開した。27日の瑞穂での2回戦の対戦校は関西学院。キックオフは12時。
八幡山駅裏には何軒もラーメン屋があった。つけ麺350gは素晴らしく旨かった。練習は14時からと想像していたが、実際には15時からだった。14時半位から部員が集まってきて、タッチフットや柔軟体操でウォームアップを始めた。国定が吉田監督に呼ばれて何やら話をしていた。そして女性トレーナーの掛け声で一連のストレッチを行なった後、二日前の激戦の疲れの残るAチームは周回ジョグ。バックアップメンバーはダッシュ走。田村優(三年生)と鈴木亮太郎(二年生)は別メニューでジョグ。そして去年までの不動のセンターであった安部亮佑(四年生)も一人黙々とジョグ。その表情に悔しさがにじみ出ていた。杉本博昭(三年生)の明るさと存在感は飛びぬけていた。スクラムの要のフッカーを務める伊吹誠介(四年生)は拓大戦で足を痛めたようであったが、元気に走っていた。そして肝心の西原忠佑主将が見つからない。やはり彼も拓大戦で足を痛めていて別メニューであったことを、翌日、サンスポの吉田宏記者の記事で知った。
最後まで練習を見届ける時間は無かった。後ろ髪を引かれる思いでグランドを後にした。
関東大学対抗戦
明治 ●14 (14+0) vs (3+13)16○ 早稲田
早稲田の星野泰祐くんが素晴らしかった。そして瀧澤くんのライン際からのリターンパスが逆転のトライを生んだ。明治は1センチのディフェンスで敗れた。それでも僕にとっては夢のような早明戦だった。チームにどんなケミストリーが起ったのかは知る由も無いが、吉田義人は120%の力を引き出したことになる。ドラマはもう起らないと思っていた。しかし僕のセルフジャッジだった。ラストモーメント、その瞬間まで心を燃焼させなければならない。
衛藤陽介のビッグヒットを見たか!2週間後には必ず熊谷のピッチに立ってくれ。そして来年1月2日に再び国立競技場に戻ってきて欲しい。君の高校のチームメイトの中濱寛造だけにはトライを許すな! って、君が一番思っていることだよね。
関東大学対抗戦
慶應 ●17 (17+0) vs (0+19)19○ 帝京
Ryomaが辻堂のピークメンバー、クリさんの息子を応援する為にやってきた。慶應のロック4番、今期不動のスタメン栗原大介君(2年生)を応援する為に。
前半は慶應のウィング11番のナイストライを目の前で目撃した。後半は冷たい雨に濡れながら観戦した。そして風上に回った帝京がスクラムで圧倒した。慶應のフッカーが前半で負傷交代し、セットプレーでプレッシャーを受け、大介はスタミナを奪われた。慶應は9年ぶりの対抗戦優勝の壁を乗り越えることが出来なかった。素晴らしいゲームだった。大介は泣いていた。
Ryomaの決断が無かったら、翌日の早明戦を控えて絶対にTV観戦だった。帰りがけに二人で芋焼酎のお湯割りを3杯飲みながらラグビーのこと、波乗りのことを話した。楽しく充実した時が流れたが、18時前に解散した。
盟友ひなPのお導きで、上海双龍ラグビー倶楽部の練習に押しかけ参加させていただいた。アップから田村さん(慶應ラグビー部主将経験者)の音頭で次々とメニューを消化し、インターバルで7・5・5分走をこなした。僕は次々に周回遅れとなる中、ひなPは溌溂と走っていた。グランド事情でスペースが得られず、筋肉トレーニングメニューを行なって早めに練習終了となった。もちろん僕にとってはモアーザンイナフのグレートデーだった。メイングランドではクリケットの国代表同士のテストマッチが行なわれており、女子ジャパンチームとの記念撮影とあいなった。
夜の部では一次会が焼肉屋で、竹ノ内監督(明治ラグビー部主将経験者)が参加されており、僕にとっては感激の対面だった。マイケルさんと監督との3ショットはお宝画像だ。
二次会は倶楽部の治外法権焼き鳥大吉古羊店。ラグビー馬鹿の飲み会とはこうあるべきといった経験をした。話題はあちらこちらに飛び、その間隙に雪の早明戦の真実があぶりだされたりした。
この日触れ合った倶楽部メンバーは心底温かかった。心から感謝しています。ひなP、本当にありがとう!
関東大学対抗戦
明治大 ○38 (10+28) vs (10+3)13● 日体大
開幕戦、明治は苦戦した。公式戦の緊張感を堪能した。勝利への過剰なまでの意識がプレーヤーを金縛りにした。日体大の5番・8番はU20の代表。9, 10, 11, 12番も素晴らしいプレーをしていた。苦戦は必然だった。そして残り20分のフィットネスで勝利をつかんだ。素晴らしいではないか?!
吉田監督とコーチ陣はストライプの紺のスーツ。プロフェッショナルな雰囲気が演出されて素敵だと思った。北島忠治翁から現役1年生の時に贈られたブレザーは極めつけな瞬間に着るのかもしれない。
吉田義人はナーバスな時間のなかで生きているに違いない。大きすぎるプライドと自己顕示欲を内に秘め、さりとてネガティブキャンペーンをはるサポーターを無視するほど、大人になりきれている訳ではない。
僕は決して吉田信奉者ではない。それでも彼が主将として迎えた大学選手権決勝での、今泉のタックルを振り払っての決勝トライは、僕が目撃した明治の最高のトライだった。
1995年南アW杯@ブルームフォンテーンでのオールブラックス戦、1997年イングランド協会創立115?周年の記念試合@ツィッケナムで世界選抜の一員でプレーした彼、伊勢丹時代の秩父宮での肩の負傷、そして全早明慶戦での引退セレモニー。それらをスタンドから見つめてきた。
松尾雄治氏に監督をやって欲しかった。吉田義人はその次でもいいではないかとも思った。しかしフルタイムで人生を賭け、紺のスーツに身を包んだ明治出身者ばかりではないコーチ陣を率い、孤高の主将を支えたであろう西原在日ヘッドコーチの笑顔を見つけたとき、首脳陣でただ一人ジャージー姿でピッチの上を歩く大川フィジカルコーチの姿を見るに付け、時代のうねりを感じた。
もう一人のカリスマ松尾氏は再び成城学園を率い、春シーズンには八幡山にやってきた。その明るく気取らない姿勢が素晴らしいと感服させられた。
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